ただいま帰りました

 

ハワイでの研修バカンスからは戻ってきていましたが、さらに京都での舞のお稽古が続きました。

 


そんな先月から今月あたまのテーマは「完全に一人になる」でした。

 


そのテーマが浮かんだ時「え?一人の時間が多い方なのに、今更なんで?」と自分に問いかけたのでした。

 


ま、あまり意味を考えずに、私の一番の叡智、からださんと、出来事やご縁に任せてみようと、とにかく足裏全部を開いて日々を過ごしていました。

 

 

カウアイ島では毎日のように裸足で地面を蹴り、山と岩に登り、朝日にお祈りしていました。

 

 

足裏はやけどと傷だらけ、髪と肌は潮風に揉まれて荒れてキシキシ、ヒリヒリ。

 

 

私を突き動かす躍動感は、少年のようで僧侶のようで感じる女性でもありましたし、私の中にある確信は、いつかどこかで誰かが祈ってくれたものたちに支えられてると感じました。

 

 

のぼる朝日は毎朝、出産をしているようだったし、潔く沈んでいく太陽の速さは、地球が生きていることを知り、真逆の死に触れる体験でもありました。

 

 

そんなことが毎日繰り返されていること、そんな奇跡を見過ごしていることのもったいなさと、見過ごしているにもかかわらず与えられているものの大きさを私たちはもっと知るべきだと思いました。

 

 

知るだけでなく、身体で感じること、足の裏を使ってもっと感じること。自分の身体を慈しみ、身体の神秘をもっと知ること、それが今いるところからできる地球への恩返しです。


 

本当のことに触れると、とてもシンプルなものだけになっていきます。

 

 

「美しいもの、小さいもの、野生のもの、自然のものが守られますように」

カウアイ島で出会った私の思いは、それだけでした。

 

 

なんてシンプルな、切なる思いにふれて、それ以外なにもすることはないし、それ以外余計なことをするべきではないと思いました。

 

 

そんな旅を経て、また日々クライアントさんと出会う日常が戻ってきた今、「本当に一人になる」という意味がわかった気持ちでいます。

 

 

一人になっても、誰かのことを考えている

子どものことを心配している

何かに気を揉んでいる・・・

そんな風に、私たちは完全に一人ではないことが多いのかもしれません。

 

 

もし、「一人で寂しい」と思っているうちは

完全に一人ではないからだと思いました。

 

 

寂しい、というのは贅沢なのかもしれない。

寂しさは、孤独ではないということだからです。

 

 

でもね、寂しさを超えた、孤独はさらに究極の贅沢だと感じています。

 

 

完全に一人になった時に

満ちて溢れて

幸福感に包まれる

そんな「完全な孤独」にある時

誰かとの分離すら思いが及ばない。



身体に眠る幸福感と、生きているうちにどれだけ出会えるか。それが自分と出会うことであるし、それを私は日々出会うクライアントさんと分かち合っていきたいです。

 

 

一人でも多くの人が、自分の中の自然や野生、美しさと出会えますよう。



ただいま🌺