傷つきと癒しについて

 

GW。馬に乗ったり、山に登ったりしていました。



新緑が美しい季節ですね。


 

令和への新しい転換や、不安定な気候の中にあっても、何一つ変わらない季節やいのちの巡り。

 

 

外側で何があっても変わらないものが、私の中にもあります。

    



仕事では心理臨床家として傷ついているクライアントさんとお会いすることが多くあります。


一方で、わたし個人がまだまだ傷を抱えているなと感じることもあります。


         

「傷ついている」と書きました。



外側ではいろんなドラマがあるけれど、人の発達-成長プロセスとして内側の奥にある意図を見るとき、そもそも傷ついている人など誰一人としていないなと思います。

 

 

「傷つけられた - 傷つけた」

という関係性は、そう観察している人がいるというだけ。

 

 

「癒す - 癒される」

関係性も、同じく

 

 

カウンセラーとクライアントは、同じ場を共有しながら同じプロセスを辿っている者同士です。



もともと「傷」や「癒し」「トラウマ」という言葉があまり好きではないのに、なぜかそんな巡り合わせに身を捧げているのは不思議です。



個人の嗜好ではなく、もっと大きな流れの中にあるのかもしれません。



     

 

 少しだけ専門用語を交えて話すと、大きな傷つき体験=心的外傷の事をトラウマといい、その後に見られる症状の事をPTSDと言います。

 

 

PTSDには単純性PTSDと複雑性PTSDというものがあって、私が関心を寄せているのは複雑性PTSDです。

 

 

日々出会うクライアントさんの中に、外見上は発達障害と診断されるお子さんで、愛着障害、複雑性PTSDと思われる子が多いことが、私が関心を持っている理由です。

 

 

パーソナリティ障害やうつ、統合失調症などの精神疾患の中に、そもそもは複雑性PTSDとして治療をしていく必要があるケースが多いことも言われています。

 

     



心的外傷(トラウマ)というのは、個人の感情レベル(虐待などの「加害者から被害者」という図式)だけでなく



社会的な傷つき(もっと言えば、細胞やDNAレベルで!)の体験・虐待が背景にあると思うのは、私だけでしょうか。

 

 

たとえば大きな傷つき体験の代表として、戦争。



この社会的な大きな傷つき体験は世代間連鎖をもって現代に引き継がれています。

 

 

出産直後に受ける母子の断絶など医療上いたし方のない体験もまた、一つの傷つき体験となって、その後の発達に影響を与え続けているケースもあります。

 

     



昭和の傷つき体験は平成で複雑化されるたけれど、令和で統合・回復される流れになるのではないかと期待しています。


包括的にケアしていく治療プログラムや支援者の底上げプログラムが、社会的レベルで(DNAレベルでも!)進んでいかなくてはならない時代なのでは?と大きな問題提起をしたくなり、


使命感のようなものに火がついて、ついつい熱くなります。


個人レベルと
社会レベルとは同時進行で起こるものなので、一人ひとりが自分の傷つきを内側で統合、回復していくことが大切に思います。


自分が癒している、育てている、教えている、提供している立場の人こそ、自分のニュートラルに立ち戻る必要がありそうです。

 


 

     

傷ついている人でありながら、傷つけている人。

 

癒す人でありながら、癒される人。

 

 

一つの共同体として

境がなくなりますように。

 

 

 

馬とウマがあった一日。

トラウマも解消^^