特別支援について(熱くなり書きなぐる)

課題を与えて「できたね!すごいね!」


このやり取りが支援なんだろうか、教育なんだろうか。



空間認知が苦手だとか、抽象概念が未獲得だとか、言語優位、知覚優位だとか…そういう「専門的にわかっている」ということが、そんなにも凄いことなのか。



わかることを伝えるよりも

なにを一緒にできるかが肝なんじゃないか。



専門家なんて、やめてしまえ。

と自分に問う。



発達障害の子への支援が進んでいるけれど、それは設備や制度だけで、ほんとうの支援はどれくらい進んでるの?



特別支援学校、特別支援教室、特別支援学級の数は増えているけれど、どれくらい支援側の人の質は磨かれてるの?



空間認知を高めるために、知育教材や感覚統合のトレーニング。おむつもトイレットトレーニング、親にはペアレントトレーニング。怒りのコントロールのために、アンガーマネジメント…



トレーニングだらけ!

そうはいくかよ!ナマモノだよ、ばかなんじゃないか!



っておもう。



これら、AIでもできる子育て、教育、療育、特別支援になんでこうも人は寄り付くの?



ぬくもりのある支援。

こころからの笑顔。

肌のふれあい、自然との触れ合い。



それらが、忘れられて

切り取られた知識だけが大切にされている。



人を嘆いても仕方がないから…繰り返すけれど、臨床心理士っていう専門性を改めて自分に問うとしましょう。




専門家を降りて、対人として何ができるか?ほんとうにやりたいこと、本当に感じて動くことをしてるか?今、いろんな場面で感じています。



機械的で不自然だらけ、コーティングだらけの社会で、教育で、長いものに容易に巻き込まれない自分を厄介だとも思いつつ



でもそれらに疑問を持っている感性はわたしの財産だから



持ち続けながら、出会う人の奥に触れる瞬間を忘れずにいたいです。



いつもこの分野になると、熱くなってしまいます。



今日も不登校のおかあさんに熱いものが湧いてきて、臨場感あふれるカウンセリングでした。



おしまい。