慈しむ手 愛でる手

 

当たり前が溢れている世の中では

当たり前の手つきで

 

 

あたかも目の前の奇跡が

ずっと続くもののように思える。

 

 

そして、手の所作も乱暴に

物や人を扱うようになる。

 

 

もし汚濁した水と猛暑の中

ひんやりと冷えた

わずかな水があって

 

 

それを手ですくって飲むとしたら

手はどんな所作になるだろうか。

 

 

もし真っ暗闇の中で

一本のロウソクがあって

 

 

それが消えないように

守る手はどんな所作だろうか。

 

 

もし愛する人に

次いつ会えるのかわからないとしたら

 

 

お別れの時、その手でどうやって触れるだろうか。

 

 

こぼれないようにいただく水

消えないように守る火

愛おしさを伝えたい人

 

 

そんな風に

目の前のものを慈しみ愛でることができたらと思う。

 

 

何か遠くのものや得難いもの

実感のない概念に振り回されるのであれば

 

 

目の前にある手の所作に没頭してみる。

 

 

当たり前のものに感謝しなさいとか、愛しなさいとか、そういう考えごとではなく

 

 

ただただ、手の所作になる。

動きになる。

 

 

同じように

自分自身に触れる所作に没頭してみる。

 

 

何よりもの奇跡は、自分に触れることができるということかもしれません。

 

 

* * *

 

 

・・・ちなみに私の手はゴツゴツしていて、節や血管、毛穴の目立つ手です。

 

 

長年、好きではなかった手を少しずつ好きになってきてるのは、舞を始めて、ひらひらと動かすことが増えたから。

 

 

そしてついに!

私の手と、そっくりな手の人と出会ってしまったのです^^

 

 

気持ちが悪いくらいに似ている手を見ると、愛おしさと愛されてる感覚とどちらも芽生え、安心感と、もっともっとこの手で色んなことができる気がしてきます。

 

 

ただただ、この手の動きの行方を楽しんで見ています。

次の、自分の一手が他人事のように楽しみです。