呼吸の妙味と、今日の出会い

セッションで誘導瞑想をさせていただいた時、自然と出てきた言葉の記録。

 

潜在意識からの言葉なので自分で言っていてなるほどど思い、ある方への言葉だけど、なるほどと気づかされる。

 

 

「吐く息は、自分のNo

吸う息は自分へのYes」

 

 

Noがわからない人は、自分へのYesは感じることはできない。

 

 

Noを感じるのは、自分への信頼だ。

 

 

深く吐くように、自分のNoを感じたら

自然と自分への絶対的なYesが入ってくる。

 

 

深呼吸という自然の妙味。

 

 

そもそも、私たちはNoを感じないように、教育されている。

 

 

不感症の大量生産が、今の教育では成功している。

 

 

感じすぎたら生きづらいから、不感でいるために呼吸を浅くすることを身につけて生き延びるしかない。

 

 

もしくは、変わった人として

問題のある人として私のところにやってくる。

 

 

本当にどの人もユニークで、愛おしいと思う。

 

 

すごく大好きな子がいて、

その子がいると私が和む。

 

 

毎回、気分が違って面白い。

 

 

ハイテンションで話が止まらない

ローテンションで一言も話さない。

 

 

今日はどっちかなぁ。

 

 

今日はローテンションでしかも自虐的な日だ。

 

 

何も取り柄がないと、死んでしまいたいと

その子は言った。

 

 

「わたし昔、道路に立ってるだけの人を見て、あの人みたいになりたいって思ったことあるんだ。一生をかけて、あの人みたいになれるのかなあって本気で思ったことがあるんだ」

 

 

私が言いたいこと、伝わったかな。

 

 

私のこと、じーっと見て

恥ずかしくなるくらい食いつくようなエネルギーだったから

 

 

「ただいるだけでいい人になりたいっていうことね」と少し目をそらした。

 

 

そのうち、たわいものない話になって

君の大好きな笑顔見れて、幸せ。

 

 

今伸びかけてるちっちゃな八重歯

見習いの吸血鬼みたいでかわいい。

 

 

あの子は、頭がいい。

あの子は、スポーツができる。

あの子は、絵がうまい。

あの子は、友達になるのがうまい。

 

 

学校って、この4つができない子は「取り柄のない」とレッテルを貼られることになる。

 

 

自ら進んでこのレッテルを貼っている子もいる。

 

 

私は、「絶対的なその人」=本質ってどこに存在するんだろうって

宝探しみたいにして子どもたちと会っている。

 

 

訴えている症状や悩みや問題行動は、ただの役割なんじゃないか

ある関係性の中で生じた反応なのではないか、と疑っている。

 

 

「絶対的なその人」は、「絶対的なわたし」に近づいたら自然に見えてくるもの。

 

 

そんなことばかり考えて生きていて

「絶対的なわたし」に触れる瞬間をご褒美に

今日もいろんな自分との出会いを楽しんでいるのでした。

 

 

最近は「うわぁ、わたしみたーい!」っていう人とばかり出会うから、過去の自分との再会や今の自分との対面みたいだし、そもそも時間軸がわからなくなることもあって面白いです。

 

 

2017年2月15日からのハワイ島ダンス公演は、引き続き募集しております。
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