究極のしあわせ

私のところに通ってきてる女の子が

いつも「楽できるーー!」

って言うから

 

 

わたし

「楽でいられるんだね」

って言ってた。

 

 

でもね、何度も

「なんにも変わんなくていいからずっと楽ばっかりしてたい」

っていうから

 

 

わたし

「楽するだけのために、ここに来てる?」

 

 

ってちょっと引っかかって

 

 

「なにか、ここでやること決めてやったほうがいいと思うんだ」

って言った。

 

 

目的達成したい思考が働いたわけだ。

 

 

そして

なにか、形になることとか役立つことやったほうがいい気がするって伝えた。

 

 

しばらくお互いの思いを話した。

 

 

まとめると、彼女は

”ただ、ここに居たい”

 

 

わたしは

”なにか、役に立ちたい”

 

 

そんなお互いの思いが出てきた。

 

 

お互いの思いがちゃんと表現し合えたら

 

 

あぁ、わたしの”役に立ちたい”っていうのは、ただの自己満足だなって気づいた。

 

 

そしてそれをそのまま彼女に分かるように伝えた。

 

 

そしたら

「ここに居るだけで、いいんだって思える。学校でうまくいかなかった時、ほんとに自分だけ真っ暗だったから。辛くて感じないようにしてきて、感じるとまた崩れるの分かってるから。でもここには居てもいいんだって思えるから、ここに来てる」

 

 

って14歳の彼女が、せいいっぱいにハートを開いて涙うかべて声を聞かせてくれた。

 

 

わたしも湧いてきた違和感を伝えたり

自分の未熟さも表現したからこそ

心が触れ合える瞬間。

 

 

お互いの思いを伝え合えるって

なんて素敵なんだろう。

 

 

「ここにいていいんだよ

  ここにいてくれて、うれしいよ」

 

 

それをひとは居場所っていう。

 

 

こんなにもシンプルなことを

一番子どもたちが求めているとしたら

 

 

私たちは複雑なことを考えて物事を複雑にしているだけかもしれない。

 

 

役立つこととか

良かれと思って…っていう大人の

余計なお世話は

ボタン掛け違えるね。

 

 

そとそも人のボタンにまで手を出すからややこしくなる。

 

 

まずは自分のボタンの掛け違えをスッキリしよう。

 

 

わたしはここに居てもいいんだ。

わたしがここにいるだけで、完璧だ。

 

 

そう一人一人が思えたら

それが幸せ。

 

 

いいことをしたからとか、何かができたから褒める。

悪いことしたからとか、何かができないから叱る。

 

 

これらを超えて

「いてくれてありがとう」って言ってくれる誰かさんの優しさに触れる幸せ。

 

 

「存在が愛しい」って思える人がいる幸せ。

 

 

わたしは究極のところ、子どもはどうでもいいと思っていて、子どもを幸せにしようだなんて思ってない。

 

 

幸せな大人の言うことを聞きたいのが子供の本能だし

 

 

幸せな大人を見て子どもたちは大人になりたいと思うものだと確信してる。

 

 

だから、わたしは本気で自分を幸せにする。

 

 

お金でも美容でも食べ物でも何でもいいと思うんだけど、

 

 

私にとっての究極の幸せは

 

 

わたし、ここに居てもいいんだ

って思えること。

 

 

とっても当たり前のようだけど

わたしにとって難しいいちばんのチャレンジみたい。

 

 

あがきながらも

この究極の幸せに私は本気なのです✨

 

 

 

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