分類の奥にあるもの

昨夜、久しぶりにThe BLUE HEARTSの甲本ヒロトさんの歌を聴いていて、パッション湧き上がってきて、この人神がかりだなと震えてました。

 

 

途中から妄想に入ってしまったのですが。。

 

 

子どもの頃は自閉傾向とか言われていたのかな、とか。

 

 

目に入ったのが、教育の予算増、教員増のニュース。特別支援の教育予算が増えて、学校の中に特別支援教室といって発達障害の子たち、グレーゾーンの子達が学校の中で支援をうけられるようになる場所が、小学校全校配置を目指して増えていきます。

 

 

特別な支援が自分の通う学校で受けられるので、どこかに通わなくてよくなり、親の負担が減ります。一般教員と特別支援の教員がコミュニケーション取りやすくなる、特別支援の考えが広まるというメリットがあります。

 

 

一方で、「特別支援教室の対象になる子は誰?」と洗い出しが始まり、その対象になった子や親の中に葛藤が生まれるケースが増えていくことが予想されます。

 

 

その時に、特別支援というのは、人をカテゴリー分けしたり分類することではないという視点を大事にしたいなと、私自身は思っています。

 

 

あの子はADHDだとかアスペルガーだとか、そういう分類はもう古くなっていく概念です。

 

 

きっと、あの子はA型、O型…っていうような分類と同じくらいの使われ方になるんじゃないかなと思います。

 

 

インディゴ、クリスタル、レインボーっていう概念もあるけれど、わたしが一番好きなのは、植物を観察するように、ゲーテの自然観察のように人をただ観る視点。

 

 

多動、落ち着きのなさ。内気、陽気、慎重さ…これはどんな質なのか?その子の内面の仕組み。

 

 

花の中の雄しべと雌しべ、受粉の仕方、陽が好きかどうか、花びらの形、種のなり方…それを感嘆するみたいに、観る。

 

 

そう。

私はいまフラワーエッセンスに夢中です。

 

 

特別支援や発達支援、各種心理学を一通りやってきて、行き着いたのは「自然への探求」

 

 

クンルンやクラニオなど、人の中に元々ある自然な動きが引き出されることに感激を覚えるし、フラワーエッセンスで見えてくる植物からのメッセージに震えます。

 

 

花の一つひとつの物語を自分を通して紐解いていく作業が、愛しくて。

 

 

2つだけ植物を紹介です。

ビーチ(ブナの木)は、他者への批判、寛容なこころに関連しています。

 

 

他の植物よりゆっくり育つけれど確実に太陽に向かって伸びていきます。でもすると他の植物に陽が当たらなくなり、ビーチの周りには植物が育たなくなる。

 

 

批判を続けて、気付くと孤独になっていく。そんな中、ホーリーだけはビーチの周りに咲いていく…とか。

 

 

図鑑の新しい見方、図鑑で泣けます。

 

 

ふたつ目はパインです。

 

パイン(アカマツの木)は、罪悪感や自責の念、許しに関連しています。 

 

 

鋭い葉と抗菌作用のある香りで自分を守るプレゼンスは、他から責められるのを守るために、自分で自分を責めているようです。 

 

 

不毛の地に、他の樹木が生きられない場所に生育するパインは、それだけで価値があります。 

 

 

自分が存在するだけで価値があることを教えてくれています。 

 

 

エッセンスを作る時に、反応としてカビ臭い、古臭さを醸し出し、古い感情のしこりを浮き上がらせて、自責の古いパターンを解きほぐしていく作用もあります。  

 

 

こうして一つずつ植物と出会いながら

自分自身とも出会っていきます。

 

 

すると、誰かの中に植物を感じるし、誰かの中にあるものと、自分の中にあるものも繋がっていきます。

 

 

最初に書いたような、発達障害の分類はテーマパークに行くように遊ぶように使ったらいいと思います。ただ、分類して見えなくなるものがあることを知っていてほしい。

 

 

もっと奥にある震えるものに触れる瞬間があります。

 

 

分類やカテゴリー分けではなない、すべてのものと繋がる終わりも始まりもない、「自分の中にある自然」に触れる瞬間です。

 


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