昨日はお休みをいただき、鎌倉の山に登っていました。
ぎっくり腰の未遂爆弾を抱えて
山登りと山中で舞い踊り。
箱根の温泉に入れば大丈夫かも?とさらに西へ移動し・・・我ながら無謀です。
今日は師に会いに、京都に向かってます。
我ながら多動です^^
はい、腰は悪化しました。。
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今日は新月ですね。
どこで誰と、どんな風に生きていきたいのか?
それを問われているような毎日。
私には「わからない」けれど
一つだけ「わかってる」ことがあって
どこで誰といても「自分の真実と一緒に生きていたい」ということ。
誰かに説明したり、許可を得たりする必要のない、自分と宇宙にしかわからない真実があります。
瞬間、瞬間、自分の「ほんとう」を大事にしていきたいです。
来月の新月の日にも、箱根にいますよ。
自分の「ほんとう」を体感しに
ご一緒しませんか?
ダンスとは、解放であり、身体を通した表現。
舞とは、祈りであり、本来の私達が持っている自然な呼吸に還ること。
ダンスしてみて?
身体が解放されたがってるのを感じます。
舞ってみて?
本来の自分の呼吸からのズレを感じます。
この、ちょっとした葛藤が
踊りたい、舞いたいという衝動に変わります。
一緒に踊ったり語り合ったり
瞑想したり祈りの時間を過ごしましょう。
私は5年前くらいでしょうか。
初めて「自由にダンスして~」と言われた時
皆が自由に解放されて踊っている姿をみて
わたしはここには入れない、
何でみんな楽しそうにしてるの?
と、ひとり会場の隅で泣いていたことがありました。
自由になりたいのに
自由になるのが怖くて
自分にはできないって思っていました。
こんなこともありました。
ダンスのワーク中に
どうしてもインディアンみたい?に口を大きく開けて、手でポンポンって音を鳴らしたくなりました。
それに特に意味はなくて、
でもどうしてもどうしてもそれがやりたかった。
美しく舞いたい、
自由に踊りたいっていう欲求すら消えて、このポンポンをやりたい衝動に乗っ取られました。
みんな踊ってるのに、ダンスじゃないのにいいのかな、なんて一瞬思ったけど、わたしの体の声に従ってあげたら、内側から歓喜が起きました。
こんなに眠ってたんだ、私の中の喜びが!と驚く体験でした。
他にも、ニーシャのダンスワークショップでは、人の踊りを見て涙が出たこともありました。
それはプロの完璧な踊りだからではなく
全く、踊ったことがない・・・
自信がない・・・と言う方の踊りでした。
ダンス、舞い、踊り。
それらは筋肉のトレーニングや技術を覚えることではない奥があります。
それは、霊性に触れる“何か”
ニーシャの創り出す空間には
この何かがあります。
地面に足をついて
水に触れれて
火を見つめて
そんな原始の感覚を思い出し
身体の中の自然界のエレメントを目覚めさせる時間を一緒にすごしましょう。
安心してご参加できますよう
私も心を込めてお待ちしています。
前回のWSの様子です
↓