自分を犠牲にして子どものために生きるっていうことが、
子どもからしたら、誰も頼んでないよと言われてしまうことがあります。
自分の人生のイニシアチブは自分でとってよ!
それが、子どもたちの声です。
私も先日、書道を習い始めた次男に着いていき、最初は1時間、次男を見ていようと思っていました。
普段、ゆっくり見てあげることができていないから、この時間くらいは次男のために時間を使おう!と。
でも、流れで私までやることになって、どこかで「あれ?結局自分のために時間を使うの?次男のためじゃないの?」と思いました。
つまり、自分まで習うことに後ろめたさみたいな感じが出てきて。
思わず、次男くんに
「ママも習字習ってもいい?それとも、ずっとえいたのこと見てた方がいい?」
って聞いたら
「見てて」
って、反応的にそう言われて、
やっぱり私は習わないで見ててあげた方がいいのかな…他のお母さんは、いろんな習い事に付き添ってるし、寂しい思いさせてるのかな…とプチドラマに入りそうになったのです。
次男くんはすぐに
「ママが好きな方でいいよ。どっちでもいいよ別にーー」
と、あっけらかんと言ってきました。
そうよね、自分が習った方がいいかどうかなんて自分で決めたらよかったんだ。
子どもに、どうしたらいい?なんて聞いたって、子どもはいい迷惑。
回答を求められても、その場のフィーリングと反応でしか答えられませんよ、責任まで取りませんよ。
自主性を育てるのが大事と言われている世の中・・・
自主性を育てるのと、子どもにイニシアティブを丸投げしてしまうのと大きな違いがあることに気づいて。
大人が決められない多くの場合、子どもを「可哀想な子にしてしまうかもしれない症候群」、つまりは大人側に罪悪感があるから。
可哀想な子ってレッテル貼る前に、自分の後ろめたさを見つめることから始めてみよう。
内観することは成熟への道となります。
離婚のセッションでも感じることは、「ママとパパとどっちと暮らす?」とか「転校するのとしないのとどっちにする?」などを、
「あなたを尊重するよ
あなたのためを思って。」
と聞かれたって、重たいだけ。
それより、母が満ちて決めたことなら、どっちでもいい。
その代わり、母さんも自分の決断を信頼して。
そして、もし母さんの決断でぼくが悲しんだりしても、その決断を信頼して。
ぼくが悲しむことも信頼して見守って。
怒るのも悲しむのも、自由にさせて。
あなたが、自分の人生を生きて!
ぼくを信頼して!!
一人ひとりが自分の人生を信頼と共に生きること、それが次の世代にお渡しできるものだと思うのです。
舞・むすび・祈り
*12月より初回個人セッションの料金が以下に変更になります。
60分12000円→90分15000円
地域や学校、グループに呼んでくださるオーガナイズ希望の方、ヘルパーとして一緒に子どもたちと触れ合いたい!という方お問い合わせください。