情を超えるとき

今日は私の尊敬する師と、天に召された赤ちゃんのお話をしました。

出てくる涙は、感謝と光しかありませんでした。目に見えない、尊き経験と尊きたましいに手を合わせる思いです。

 

このシルバーウィークの過ごし方は、ひとそれぞれですが、どれだけの人が自分の心地よさと共におられるでしょうか。

 

人は、誰かが辛い状況の時

自分だけ心地よさの中にあることを罪悪感として経験するもの。

 

わたしも今回の鬼怒川決壊で実家の常総市が大変な状況にあって、ダンスリトリートに行くことを2度止められました。

 

「こんな状況で、リトリートに行くのはオススメしません」と。

 

大変な人がたくさんいるのに自分だけ楽しい時間を過ごすのはいかがなものかと思われたのでしょう。

 

その方はきっと、悲しみや辛さという経験は可哀想だと思われて同情のお気持ちがあったのでしょう。

 

 お葬式の時に、蝶々が飛んできてキャッキャ笑って走り回っている子どもを、不謹慎だと、悲しみの中に入りなさいと強制するように。

 

私は、もし心から手を差し伸べたいときは、純粋な思いで手を差し出すでしょう。共振して悲しみの中に一緒に入るでしょう。

 

でも、人と共に苦しみなさいという情は、優しさと言えるのでしょうか。

 

 自分を犠牲にして誰かのためにボロボロになることを愛と言うのでしょうか。

 

 そもそも悲しみというものは不幸なのでしょうか。

 

 わたしは誰も不幸にはしたくはありません。

 

 悲しみや辛さには

喜びと感謝が含まれているから

その人の経験を心から尊重して信頼するだけです。

 

私は同情という重たい引力にひきづられずに、軽やかな思いで静かに祈るだけ。

 

私はわたしの内なる平和の中にいて、また自分の感覚を大切にすることこそが、この世の中に波紋のように広がっていくと思っています。

 

 

 色んなことが同時に起きています。国のあり方、人のあり方、関係性への向き合い方。すべては、ここに集約されるような気がしています。

 

 

どうぞ28日満月前のシルバーウィークを多くの人が心の赴くまま過ごせますように。

 

 

霊性が高くあったときに見える、あなたの経験への尊重と共に…