日本人の丹田の力、踵の力は素晴らしいものがあるらしい。
それを弱めるためか、70年前の日本人から本物の塩と水、(大)麻を取り上げたそう。
そして教育も…
右へならえ!
全体止まれ!
私たちはコントロールされやすいように
洗脳されてきました。
だから多数という名の脅威に
人から評価される、海外から認められることにとても弱いのですね。
美白、足長、大きな目、大きな胸、長身、彫りの深い顔立ち…そんな海外コンプレックスを植え付けるCMやファッション誌。
今のままではダメだという繰り返されるメッセージ。
と同時に常識から外れること、
人と違うことは
自動的に恐怖と感じるように。
外来っていう言葉の反対語は何だろうって思っていたら、きっと、内在するものなんだろうとわたしの答えです。
わたしたち一人ひとりの中に起きていることが、小さき世界にも大きな世界にも繋がっているんだと思います。
たとえば外来種のヒアリが日本に来てしまったら、日本にいる昆虫や小さな哺乳類たちが食い殺され従来の生態系が壊されてしまうでしょう。
それと同じように、外来のものに流され続けていたら、従来の私たちの繊細さや内的感覚の素晴らしさが狂ってしまう。
そして最近とても増えていると感じるのは、菌の恐怖を植え付ける抗菌作用のある商品たち。
抗菌作用のある有名な商品たちは
私たちを守ってくれている常在菌をも殺してしまうのに。
一部の子達は、行き過ぎた潔癖社会の病を象徴的に引き受け、今日もまた外出できない、唾が飛ぶのを気にして人と食事を取れない、痺れるほどに手を洗い続けるのを止められないのです。
私はこれを親のせいだとか、発達障がいの2次障がいだとか思えなくて、
だって異常なまでの清潔を求める風潮は、
わたしたちの中にある
綺麗でありたい
汚いもの見たくないものは自分と切り離す心性の拡大鏡のように思えるから。
大きな世界でも起きていることも同じではないかしら?
海外との関係性。外側ばかりみてる、外側の要求に応えることばかり、多数派が力を持つ世界では、日本の憲法だって簡単に変えられてしまいます。
小さな生物を守る、大きな社会の平和…
それらすべて
自分の中の世界と繋がってる。
私たち一人ひとりが大勢多数に流れない
内側の感覚や日本人としての感覚を大切にすることを。
闇を切り離して光だけを求める心を、洗脳されているマインドに意識的であることを。
多数派の常識と違っていてもいい、内側にある繊細な自分だけの感覚を大切にしてほしいなと思うのです。
そこから、そこから。